自転車に全然関係ないお話

お知らせをもらって知ったのだが、知り合いが癌になったらしい。しかも、自分より6つほど年下だ。つまりは二十台も半ば。

大変に優秀なミュージシャンで、珍しくビジネス感覚と感性、そして根性を兼ね備えていた。ゆえに、仕事が多すぎてずいぶん無茶苦茶をしているように感じていた。かなり縦横に大きかった事もあって心配していた。(それこそ自転車でも乗ればいいよって)

しかも、入院して検査したらさらに別の癌が見つかったと。詳しい話は聞いていない。良性で、手術すれば治るのかも知れないし、そうでないのかも知れない。

彼に、嫉妬した事があった。

年下なのに、商売としても音楽としても彼はとても優秀だった。敵わないなーって。でも生き急いでいる感じがした。彼がやっていたバンドの都合もあって、しばらく一緒に仕事をする機会がなかった。しかし、この話を聞いた時、驚いたというよりは不謹慎ながらやはり・・・と思ってしまった。


3年前に独立して、これまで一日15時間労働だった生活が一気に自由な生活に切り替わった。色々考えさせられる出来事があった。自分は徐々に生き急がなくなった気がする。常にヤバイという気持ちはどこかにあるものの、焦ってもどうにもならない。そして良く考えて一見大事に思える事も、無駄ならばやらなくなったし、連絡も取らなくなった。

その中で自転車は、生きていく中では無駄な事なのかも。(趣味だしね)でも、自分の中では欠かせないライフスタイルの要素になっている。自分の今の生活は自由というよりは、限りなく狭い自己責任の中で生きている感じだ。そうしていると、何が大切なものなのか、少しずつ”ホンモノ”が見えてくる気がするんだ。

金、地位、名誉、愛情、友情、時間、自由、権利やアイデンティティー。

人は、決して生き急いではいけない。

それにしても、それが現代社会では難しい。

日本はまた転換期だ。自転車はそのなかで、何だか象徴的なモノだという気がする。自分はこれからも自転車に救われていくだろうと思う。ゆっくり楽しみたい。


彼が無事に生還する事を願う。
でも、今度会ったら「もっとゆっくりでいいんだよ」と言ってあげたい。